ニューカレドニア日本人移民が独占した鹽

「仏領 ニュー・カレドニア事情」より。日本人が独占していた塩田。日本人は島の至る所で農業を主に開発し、生活の基盤を築いていた。

 

ソロモン諸島、メラネシア地域と日本の関係を追う中で、総数では豪州移民よりも多くの移民を送り出したニューカレドニアが気になった。

石川 友紀氏が作成した記事を再度確認してほしい。

1899年から1941年、ニューカレドニアには年間、三桁から四桁の移民を送り出し、総数は5千人を超えている。豪州よりも1300人ほど多い。しかしニューカレドニアへの移民は第一次世界大戦で恐慌を迎えたフランスが自国民の失業者が増加(報告書には2−300人)したこともあり、1914年以降は数が制限されるのだ。

このような詳細が「仏領 ニュー・カレドニア事情」外務省通商局、昭和7年に詳しく書かれているのだ。以前読んで印象に残っていたが、今回思い出して再読した。シドニーの井上総領事の島視察報告である。

日本人移民が水産はほぼ独占。農業、塩田は首都ヌメア付近においては完全に独占していた、というのだ。そのほかに洋服裁縫、理髪、喫茶店、麺類製造なども行っていた。現地フランス政府職員や警察は日本人の勤勉さ、法律遵守の態度など高く評価し、人種差別が当たり前の時代に日本人を「有色人種」に入れず外国人と同等に扱っていたことなどが書かれている。

井上領事は日本からの家族の呼び寄せ、医師の派遣などを現地フランス人責任者に相談しているが、日本人が高く評価されると同時に日本人の経済的成功にフラン人が嫉妬していた様子も読める。

この報告書が出た1932年から9年後。ニューカレドニアで日本人は土地や会社(藤田組が鉄工所を所有)を所有していた。それが戦争で突然没収され、収容所に送られるのである。

1940年7月に発表された「世界情勢ノ推移ニ伴フ時局処理要綱」には旧独領と仏領を外交的に取得することが書かれているがニューカレドニア、バヌアツのことである。そこは日本人が全く知らない島ではなく日本人の経済活動が大きな存在であったことを当時の松岡洋右は知っていたであろう。