宮古島からソロモンへ(加藤秀俊先生の紀行文)

ソロモン諸島の水産業を検索していたら加藤秀俊先生のエッセイ、日記が出てきた。長い!

ソロモンに関する部分を抜き出しておく。

加藤先生の細やかな観察、分析なのだが1979年の状況がよくわかる。

どのようにソロモン大洋ができたのか?現地スタッフの本田さんは沖縄の沙良浜漁師とソロモン諸島独立支援の両方を肩に背負っていた。しかもエリザベス女王から水産業の可能性を色々と聞かれたのだ。

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宮古島からソロモンへ(宮古島-香港-ソロモン-フィジー)

一九七九年九月二日~九月二一日

http://katodb.la.coocan.jp/doc/travel/travel01_pngsolo.html

赤道から南緯一〇度の線をひいてみると、このなかにはジャワがはいり、スマトラがはいり、ニューギニア、ソロモン、ニューブリテン、ビスマルク諸島などがはいる。この広大な水域、ならびに中部太平洋は、かって佐良浜の漁師の漁業の操業範囲内であり、現在も、ここでいう南洋漁業というのはこれらの海域だ。その広大な海面をこの村の漁師たちは自由に動きまわっている。これだけゆたかな水産資源が約束されているのに、日本の政府はいっこうに南洋漁業について理解をしめさない。

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(ニューギニア)

茂田さんは林野庁からの出向で漁業にはあまりくわしくないが、といいながらいくつかのことを教えてくれる。まず第一にことしは極洋漁業がケビアンでのカツオ漁業を中止したので、ケビアンはからっぽである。海外漁業のラバウルで操業しているのと、アメリカのスターキスト社がマヌスで操業しているのが、このへんのカツオ漁だ。ただ、昨年よりカツオの漁獲量はかなりおおいそうで、したがって魚価が九〇円から七〇円におちこんでも、実収入は絶対額でたぶん昨年なみになるだろうという見当である。なお、極洋漁業はことしはカツオをやめたかわりにポート・モレスビーを中心にしてエビ漁に集中しているそうだ。だいたいニューギニアの二百カイリ水域の中で操業している日本漁船には二種類ある。その第一は、日本を基地にして二百カイリ以内で操業するマグロの延縄漁業ならびに巻き網漁業である。漁船はだいたい五〇トン級のものだ。これらの船は焼津、尾鷲、それに鹿児島の串木野などが基地であって、現在のところ巻き網漁船が一二杯、延縄漁船が二〇杯はいっている。これらの船はまだ、ケビアン、ポート・モレスビー、ラバウルそれにラエの五つの港を補給基地にして操業している。
 こうした日本漁船の二百カイリ水域内での操業については、一九七八年五月から今年の一月までの期限をかぎって、日本とパプア・ニューギニア政府とのあいだで協定がむすばれた。原則的にいえば、漁獲高におうじて一定のパーセンテージをニューギニア政府に支払うというのがその協定だが、漁獲量を正確に計算することはとうていできない。そこでこの暫定協定では日本の水産業界がニューギニア政府に一括していわば入漁料を支払うという方式がとられた。その入漁料は千万キイナ、つまり三億円である。だが、この入漁料はたかすぎるというので、この暫定協定の期限がきれてからは日本漁船はこの海域にはいらないようになった。そこで八月になって、ニューギニア政府はこの海域で操業する日本漁船一隻を単位として、直接交渉で入漁許可書つまりライセンスをあたえるという方式をとりはじめた。マグロの巻き網船、延縄船についていうと、それぞれの船の魚獲高の五パーセントをニューギニア政府に支払うというやりかたである。この五パ-セントがどの程度のものになるか、また一隻あたりの漁獲量をどれだけのものとして推定するかは、ニューギニアの水産大臣が決定する。ただ、水産大臣の推定する漁獲量があまりにおおいばあいには、逆に日本漁船のほうがこの海域にはいることを断念する可能性もじゅうぶんにあるわけだから、そんなに不当な数字は提示されなかったようだ。
 つまり、こんにちではニューギニア政府が日本の水産業界、あるいは個別水産会社を相手に直接交渉をしているわけだから、日本政府としてはいっさいこの問題とは関係していないという。この方式はいちおう今年の年末までつづくが、それからあとはまたどうなるかわからない。
 スターキストはマヌスに新しく缶詰工場をつくるという計画をもっているらしい。この計画は二年ほど前から話題になっているが、いまのところまだ結論がでておらず、ばあいによってはその施設をラバウルに移そうという意見もあるらしい。これはニューギニア政府とスターキスト社のあいだの交渉いかんにかかっている。それもふくめてニューギニア政府と日本政府がいつどんなふうに漁業協定をむすぶかがこの近海での日本の遠洋漁業のおおきな鍵になってくるだろう。
 もちろん鰹の一本釣りに関していうと、さきほどのべたように極洋漁業やスターキストなどはいわば現地法人であり、宮古のカツオ船はそれらの会社との契約によって操業しているわけだから、そのばあいにはマグロの延縄漁業、巻き網漁業、そして二百カイリ問題はいっさい関係していない。

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朝八時十五分、極洋漁業の佐々木さんが来訪される。そのまま極洋の事務所にゆき、パプア・ニューギニアにおける沖縄漁船のカツオ漁について話をきく。どうやら極洋水産は沖縄の船主ならびに船員と協力関係を維持してゆくことをあきらめたようである。この会社がもっていた母船もまたそれにまつわる利権、とりわけケビアン付近のエサ場の利権はことごとくスターキストに売りわたされてしまった。ことしはカツオはあきらめて、エビのトロール船が三隻、それから五〇〇トン級のマグロの巻き網漁船が三隻、この近海で操業している。極洋漁業の事務所は、ちいさいがなかなかしゃれた建物でうしろに冷凍倉庫がついている。中の気温は零下二〇度。外が三〇度だから、五〇度の気温差というのはちょっとのぞいてみただけですさまじいものだということがわかる。

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この政府の一次産業部門の中で、漁業担当をしているのはピーター・ウィルソンという人物だが、この人はかってパラオでバン・キャンプのマネージャーをしていた人だ。したがってカツオ漁についてもおおくのことを知っているし、極洋が結局のところスターキストにその権利を売りわたさなければならなかった理由の背景には、こうした人物をつうじてアメリカ資本のうごきがあったからだとわたしはみた。佐々木さんはソロモンの本田さんとおなじようにここでの日本の水産界をひとりで代表しているような人物である。慶応大学で日本経済史を専攻なさったそうで、年令はわたしより二つ下である。もうこれで一年以上日本に帰ってないというし、そのまえの任地はインドネシア、しかも単身赴任である。まさしく最前線ではたらいている男という印象をうける。こうした人々にくらべてわたしなどはなんと情けない存在なのであろうか。また一種の劣等感におそわれ、またさらにみずからを反省する。

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細川さんは元陸軍中佐でガダルカナル戦線の参謀である。ここでかっての日本兵の遺骨をひろい、余生を夫人とふたりでここでしずかに暮らそうと決心しているかただ。ひじょうにおだやかな人で、およそ一時間ほど話をきく。話をきいていてびっくりしたのだが、ガダルカナル戦線の一番の激戦地はメンダナ・ホテルのあたりであったのだそうだ。ホテルと港とのあいだに幅二メートルほどの川とはいえないほどのちいさな流れがある。その川をはさんで死闘がくりひろげられたのだそうだ。つまり、わたしがいまこうしてすわっている場所では日本軍とアメリカ軍とのあいだで、かってはげしい銃撃戦がおこなわれ、何人もの人がここでなくなっているはずなのである。
 ガダルカナル戦線での戦死者、戦病死者の数は二万人。それについてはいくつも幽霊話があるのだそうだ。たとえば夜中に家のまわりをだれかがまわっている物音がするとか、あるいはここに駐在していた三井物産の人が一家そろって外出してかえってくると、家のなかに醤油のにおいがたちこめていたとか、あるいはこれはニューギニアの話だが、日本軍が北海岸に上陸して、ココダをへて、ポート・モレスビーにむかう途中の峠をとおりかかると、がんばれ、しっかりしろという声がジャングルのなかにこだましているとか、そういったたぐいの話である。戦争というものは非情なもので、勝ったがわの兵士たちの遺体は収容されるが、負けた方の兵士たちはそのまま放置されてしまうのである。だから、どこにどれだけの戦没者の遺骨があるかまだわからない。細川さんは自分のかっての記憶をたどりながら、その遺骨を収集しておられるのである。一階には仏壇がしつらえられていて、ひとつひとつ丹念にあつめられた遺骨がそこに安置されている。現在のところ二〇体ほどが細川さんの手許にあるのだそうだ。なにかの機縁で身元がわかれば、その遺骨は本田さんをつうじて、船で日本に送還される。この三月に防空壕のなかでみつかった遺体のそばには飯盆があり、その飯盆をあらってみると名前がでてきた。その遺族をさがして遺骨を日本に送り、到着したのが八月。そしてその到着の知らせが細川さんのところにはいったのは九月になってからだそうだ。こういうところでこうしたかくれた人生をおくっている人をわたしは崇高だとおもう。

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細川さんの話をきいていて、さきほどタクシーの運転手がスポーツ公園ができるといっていた話の内容がよくわかった。つまり、ここにアメリカ・オーストラリア・日本の三つの国が共同で平和公園をつくろうとしているのである。来年ラバウルに戦没者の慰霊碑が厚生省の予算でできるというが、そうしたやりかたに細川さんはやや批判的である。外地で戦った日本の兵士がいかに勇敢であったかということを、日本人がいわば自己満足のためにつくる、そういう慰霊碑であってはならない。むしろここは、戦争に参加した国々全部がかかわった記念施設をつくるべきところだというわけである。じっさい、この話のそもそもの発端は、四年ほど前、竹田宮がホニアラを訪問され、そこでオーストラリア人のたてた記念碑をごらんになったところからはじまるのだそうだ。つまりトハラというところにオーストラリアの旧軍人が記念碑をたて、その記念碑には日本軍がいかに勇敢に戦ったかがきざまれているのに竹田宮が感動なさったのである。だいたいこうした記念碑というのは一方的なものであるのがふつうなのに、こんなふうに敗者たる日本軍にたいする賛辞がきざみこまれているという例はほかにない。それが発端になってかってここで戦い、あるいは死んだアメリカ人およびその遺族、オーストラリア人、日本人、その三者が合同でソロモン共和国に国立のスポーツ施設を寄贈しようというところに話は展開したのである。
 たしかにこれは太平洋戦争というものを記録するのにもっともふさわしい方法なのではないか。たんに遺骨をあつめて慰霊碑をたてるだけではほんとうに太平洋地域のたしかな展望はできない。日本人にとっても、アメリカ人にとってもわすれることのできないガダルカナルは、いま、ソロモン共和国という若い国として再出発しようとしている。過去を記憶しながら、同時にあたらしい国の未来を設計してゆくこと。この事業計画はあまり知られていないけれども、わたしはわずかの時間ながら細川さんとの会話のなかでおおきな感動をうけた。

・・・いま、ちょうどこのソロモン共和国には日本から漁業交渉の使節団がやってきている。代表は農林省顧門の藤波さん、それに水産庁、日本漁業連合会、日本鰹業連合会などからの代表が参加しての合計五人のチームである。話によるとこのチームは八月二七日にソロモンに到着し、それ以来ソロモン政府と政府間協定、ならびに民間協定を結ぶべく、すでに三週間めになるという。そこでくわしい話をきくことにする。ただ、このようにわれわれの目にみえないところで日本の漁業水域を確保するための努力がおこなわれていることをあらためて痛感する。このチームはひとつの部屋にほとんどこもりっきりで、こまかい数字や条件の詰めをおこなっているらしい。昨日、ポート・モレスビーで紹介をうけていたので夕食をこのチームとともにする。
 その食卓ででた話題のひとつは韓国漁船の問題である。一本釣りカツオ漁業で問題になるのは韓国漁船の進出である。ただこれが将来の日本にとって脅威になるかどうかは、この漁法がどれだけの熟練を要するかによる。日本の漁師たちにきくと、カツオの一本釣りは相当の熟練を要する作業であって、一人前に釣れるようになるためには五年の経験が必要だといったようなことをいう。もしそれが真実であるならば、カツオ漁の伝統のない韓国漁船が太平洋に出漁するにあたってもいずれは頭打ちの状態がくるからそれほど心配するにはあたらないという解釈もなりたつであろう。しかし、もしもこの漁法がわずかの修練によって可能であるとするならば、日本のカツオ漁船はそうとう手痛い打撃をうけることになることはまちがいない。また、さらに巻き網漁業というものがどれだけ一本釣りにかわりうるものであるかもおおきな決定因になる。げんに極洋漁業はカツオ・マグロの巻き網に転換しつつあるようにみえる。はたして一本釣りが将来も生き残ることができるかどうか。この点についてもかんがえなければなるまい。
 カツオという魚のマーケットは、ひとつには缶詰として世界市場にむけられている。また日本に関するかぎり、カツオブシという加工産業が安定した産業として成立している。カツオブシの価格はだいたい水揚げされたカツオの価格の五倍という水準で安定しているわけだから、日本人の食生活が大幅にかわらないかぎりこの領域での市場もいちおう確保されるだろう。ただ、水産庁の森谷さんのかんがえでは、カツオがかってのマグロとおなじように生鮮食品、すなわち刺身、寿司の材料として大幅に転換しうるかどうかが決め手であるという。わたしのかんがえからいうと、これはむしろ文化の問題であって、マグロは江戸時代以来、刺身、あるいは寿司の材料としてひろくつかわれてきた。とりわけ寿司の材料としてはマグロは高価格を維持しつづけている。しかし、はたしてカツオがおなじようなマ-ケットにはいりうるかどうかは問題だ。とりわけ、マグロのばあいには季節をとわず消費されるということが日本人の常識になっており、したがってマグロには季節感覚がない。ただしカツオに関していうとこの魚はほとんど不可避的に季節感覚と結びついている。季節以外の時期にカツオがどれだけ生鮮食品として日本の食生活文化のなかにとりいれられるか、くみいれられるかどうか、このへんがカツオ市場の将来を決定するおおきな要因になりうるだろう。
 いままでまったく知らなかったが、一本釣り漁法でも二〇〇トン級の船で四五日間遠洋で操業する例がすくなくとも焼津から気仙沼にいたるまですでに定着しはじめているという。わたしの知っているかぎりでのカツオ漁業はだいたい日帰りで、しかも五〇トン級の船というイメージであるからこの大型船の長期操業の話はまったく初耳であった。
 漁業交渉の相手方は二百カイリ水域がもうけられてからひじょうに増加した。ただ、藤波代表の意見によると太平洋のちいさな島々はそれぞれに自分の島の周辺の海洋資源を過大評価する傾向があるという。つまり、その水域での操業に極端に高い入漁料を要求してくるというのだ。日本政府としてはそうしたちいさな島々との漁業交渉はだいたい無視する方針であるという。つまりパプア・ニューギニア、ソロモン、ミクロネシアの主要な島などについては、その操業海域を真剣に検討するが、たとえばマーシャル、ギルバート、エリスなどは相手にしないという主義をとっているらしい。ちいさな島国がみずからの努力なしに海域という権利に依存するかぎり、それらの国々の本格的な独立はありえないだろう。漁業権だけを他の国にうりつけて、その収益によって生活してゆこうという方法は賢明なようにみえて、じつはそれぞれの島国の本格的な独立とはかかわりのないものであるようにわたしにはおもえる。

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(日本人漁師が刺し殺されている)

じっさい、つい二月ほどまえここにいた日本人船員のひとりがソロモンの現地人に包丁で刺し殺されるという事件がおきている。理由は単純なことで、まずふたりとも酒をのんでいた。第二に殺された日本人がソロモン人をしかった。つまりもっと働けというのである。それが原因でいきなり包丁で三ケ所を刺されて死亡したのだから、いささか殺伐とした話である。じっさいこのツラギ基地にいる日本人は、乗組員全部をあわせてもせいぜい一二〇~一三〇人であろう。ところが現地人のほうはこの基地の中だけで三〇〇人いる。しかもそれが民族意識だの部族意識だのとかさなれば、この島民全体がすがたをあらわしてくるのにちがいない。魚撈長がいうには、もしもそうした民族間の緊張がけわしくなったばあい、こちらはせいぜい二〇〇人、むこうはあっというまに数千人にふくらむのだから全滅するほかはないという。じっさい、この島には警察もあるのかないのかわからないし、通信設備もソロモン大洋がホニアラならびに各漁船とのあいだにもっている無線通信以外にない。交通手段もわたしの乗ってきた伝馬船が一日おきにホニエラとツラギを往復しているだけだ。だから、ここでなにか事故があったとしても、それを事前に防止する手段はどこにもなにものこされていないのである。
 さきほどソロモン島民の給与水準のひくさについてふれた。しかし給与水準がよくなればそれで定着率が向上するかというと、どうやらそうでもないらしい。だいたい昨日は金曜日というのがわるかった。なぜなら、その日は給料日であったからだ。給料がはいるとかれらはどうするか。一晩でつかってしまうのである。一晩でつかうといっても、べつだんその日のうちということではない。なにしろ船に乗りっぱなしなのだから、遊ぶ時間などほとんどないのである。だが、たまに時間があってすこし休みがとれると、かれらはビ-ルを買う。ビ-ルを買っているうちに友だちがどこからともなくあらわれ、一週間にもらった十ドル程度の金はあっというまにきえてしまうのである。

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いっぽう、沖縄の漁師にも悩みがないわけではない。というのは、現地人の労働力のほうがずっと安いうえに、技術水準もけっしておとっているとはいえないからだ。昨年まで日本人の乗組員十二人、現地人十人といった配分であったのが、わたしの乗ったソルタイ一号などのばあい、池間島のひとが七人、ソロモン島民が十二人といった編成である。つまり親会社のがわからみれば、能力差がない以上だれをつかってもおなじというわけだ。しかも、沖縄の漁師ひとりとソロモンの漁師十人とがおなじ予算でつかえるわけだから、だんだん沖縄の漁師がこの出稼ぎ漁にでてくるチャンスはへってゆくのではないかとおもわれるのだ。
 じっさい沖縄の乗組員の意見によると、ちかい将来は魚撈長、機関長、それに通信士、この三種類ぐらいをのぞけばあとは現地人がどんどんとってかわってゆくだろうという。ある意味で佐良浜の漁師たちにとっての南洋漁業の甘い夢は、そろそろ先がみえはじめてきているのではないのか。
 もっともそれはソロモン共和国にとってはもっとものぞましい事態であるのかもしれない。なぜなら本当の独立というのはすべてを自力でやることであり、いわば雇われ外人としての沖縄の漁師がいなくても、みずからカツオ船を操業できるということに政治的・文化的・経済的独立の意味があるからだ。ソロモンが独立の自信をふかめればふかめるほど、沖縄の漁師がその職場をうしなってゆくという逆説もここでははたらいている。
 もっともソロモンの島民にはなかなかできないだろうと沖縄の漁師が誇らしげにいうのはメガネ番である。じじつメガネ番の仕事というのは、とにかく鳥山がみつかるまで双眼鏡をはなさず、水平線を三六〇度にわたって見わたしていることである。よほど目がよくて、根気があって、しかも経験がなければ鳥山をみつけることはできない。余談になるが鳥というのはやたらに目のいい動物である。屋根のまわりをみていても、ちいさな魚をみつけては十メートル、ときには二〇メートルぐらいの高さから急降下してきてその魚をくわえてゆく。その目のいい鳥の動きをこんどは人間の目が追う。たしかにメガネ番というのはもっとも経験と忍耐力の必要な役割であるのかもしれない。

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佐良浜の漁師が、不漁のとき「おかあさん」に電報をうつ話は宮古できいていたけれども、じっさいに各船あたり二月に一回ぐらい「ユタ頼む」という電報を打つのだそうだ。そうすると「おかあさん」たちは祈祷師をたのんで返電をうつ。たとえば、最近船の中で金物をおとしたのではないかとか、船神様の裏の掃除がよくできていないとかといった類の電報がはいってくるのだ。最近のいちばんの傑作は不漁のあと、沖縄にユタをたのんだら、祈祷師から金属性のものを海にすてなかったかという返事がきたのだそうだ。漁師たちにはおもいあたるところがなかったのだが、そのころちょうど補給船がその船の整備にでかけ、こわれたヒューズを海のなかに投げこんだことがわかった。たぶんそれが悪かったのだろうといってその技術者が沖縄の乗組員から非難されたという。ちなみにこうした「おかあさん」たちとの連絡、つまり祈祷料として、月におよそ六万円が計上されている。
 この六万円というのはいわゆる「おおまか経費」に算入される。つまり、それは船主と乗組員が折半する経費ということだ。いったいどれだけのものが「おおまか経費」になるかというと、これがたいへんなのである。ペンキとかドックとか、また船の消耗品などを除いた残りのことごとく「おおまかに経費」である。つまり食料から燃料費その他もろもろ、要するに船を動かすのに必要な直接経費は船主と乗組員が折半してわけるのである。だいたいその経費はひと月二〇〇万から二二〇万円であり、その中にこの祈祷料もふくまれているのだそうだ。もっともこの経費の中の半分以上は燃料と氷代である。だから祈祷料などはじつのところたいした金額のものではない。

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(ソロモン諸島の人材)

とはいうものの、見方をかえていうと、現地人従業員がちかい将来に日本人にとってかわるということはまずありえないだろう。まず第一に文盲率がきわめてたかい。大部分のひとが小学校教育をうけているから八割ぐらいは自分で名前が書ける。しかし名前を書けない人もなかにはいる。給料支払いのとき署名欄に×印を書く人たちもまだすくなくないのだ。だいたい計算能力というものがかなりひくい。なんでもソロモン大洋にきた水道料金の請求によると、使った水二八八トンの水道使用料は二八八ドルだそうだ。水は一トンで十セントである。だから本来は二八・八ドルであるが桁数をひとつまちがって請求書がおくられてきているのである。水道は公営事業であるから政府の仕事だ。その政府の担当者ですらこうした簡単な計算のまちがいをしばしばおかすという。

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(貯蓄概念)

そのうえ経済的な問題はここの島民にとってかならずしもはたらく意欲をおこさせる材料にはならないようだ。超勤手当をだしても出社してこない。要するにはたらかないのである。その理由はいくつもある。ひとつは昨日ものべたように、こうした現金収入がなくてもとにかく生活できるからである。いくら金をかせいでも、親戚とかおなじ部落の人間とかが寄ってたかってその現金をくいつぶしてしまう。いや正確にいえば飲みつぶしてしまうといったほうがいいだろう。みんなでひとりの人間のかせいだ現金をビ-ルを買ってつかってしまうのだ。だから貯蓄といったような観念はここにはまったくない。

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現地人を教育するために毎年ソロモンから研修生がひとりずつ日本にゆく。日本の漁師の家に下宿をしたりしながら技術を学習するのだが、なかなか学習スピードがおそい。だからさきほどのべたようにすべての仕事を現地人にうつしかえることは当分不可能であろう。
 ただ率直にいうと、すくなくとも沖縄の人たちは、ソロモン島民にたいしてある種の先入観をもっているような気がする。いったい何度わたしは、ここの人間はバカだ、という言葉を宮古の漁師たちからきかされたことであろうか。たしかに計数能力もないだろうし文盲率もたかいかもしれないが、そういう状態が永遠につづくということはまずありえないわけだし、そういう先入観をただしいものとしてみずからうけいれているかぎり佐良浜の将来もあやぶまれるのである。
 親類縁者がよってたかって現金収入をつぶしてしまうというやり方は、さらにきびしい血族関係のおきてにしばられている。もしも現金収入のある人間がそれを親類縁者のために提供することをこばめば、もうその人間は村には帰れない。そればかりではなく、婚姻関係などについてもいろいろめんどうくさいことがあるらしい。現にソロモン大洋の中田さんは現地の女性と結婚し、子どもまでもったのだが、その奥さんが産後の経過がおもわしくなく、このツラギで突然なくなってしまった。中田さんはまことに気の毒な状態におかれたわけだ。しかし、かれが再婚を決意したばあい、その亡くなった奥さんの姉妹あるいはその親戚筋から再婚の相手をみつけなければならないというのだ。もしかれがほかの部族あるいは日本の女性と結婚したりすれば、こんどはその部族から中田さんにいろいろな妨害がはいるであろうことはまちがいないのである。

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そもそもソロモン大洋がどのようにしてできたかという経緯だが、だいたい昭和三六年ごろ大洋系の人たちがボルネオで操業していた。だがそれは時期がはやすぎた。カツオもとうぶん、海外はできないであろうというのでのんびりかまえていたところ、海外漁業、豊有水産などがあちこちに基地をつくってカツオ漁をはじめた。そこでソロモンを対象にえらび、大洋漁業が調査してこの現地合弁会社をつくったのがその簡略な社史である。沖縄の漁師がどうしてここにはいりこんだかというと、これも大洋系の小会社である琉球水産というのが那覇にありたまたま漢那タケジさん (トクジさんの弟) がアメリカに留学していた関係でそれが世話係になって佐良浜とソロモン大洋の縁ができあがったのだという。
 そんなことをしているうちにめずらしい人があらわれた。新井さんである。新井さんには昨年の六月ナウルで会い、またこの四月のはじめこのホニアラでばったり顔をあわせた。ナウルで電気技師をやっていたが、あまりおもしろくないというのでいったん帰国したところやはり南の島の魅力がわすれられず、いまはソロモン大洋と契約して、レーダー、無線から電気に関するすべてのことを一手にひきうけてここではたらいているのだという。新井さんによると、半田さんもナウルにいわば愛想づかしをして、この二二日に帰国するとのことである。二二日といえばわたしが帰る日だから、たぶんおなじ飛行機になるのだろう。

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(エリザベス女王と話したソロモン大洋の本田さん)

佐良浜の漁師の南洋漁場は、皮肉なことに現地の人々がカツオ漁に熟練すればするほどぐあいがわるくなってゆくのである。
 本田さんがはじめて佐良浜にいったのは昭和四六年四月であった。この年の一月に本田さんははじめてホニアラにきた。そして政府関係者と会った。そのときに、ここにコックレーというイギリス人がいた。政府の関係者であるこのコックレー氏を本田さんがたずねてみると、その書棚には魚の本がたくさんならんでいる。すでにほかの水産会社はラバウルやケビアンでカツオ漁をはじめている。その基地として大洋漁業はどこに可能性があるかを探索していた。本田さんはその責任者であった。フィージーにも飛んでみたがこれはすこし南でありすぎる。ひょっとしてソロモンはどうだろうかというので、ふとたずねてみるとコックレーさんは本田さんをおおいに歓迎してくれた。あなたのような人がきてくれるのを待っていたのだとコックレーさんはいう。こうしてほんのちょっと話をききにいくつもりであったのが五時間にわたるながい交渉となり、結局そこからソロモン大洋が発足することになったのだ。このホニアラに来たのが一月、そしてその年の夏のシーズンにまにあわせるために本田さんはさっそく宮古に飛ぶ。そして佐良浜の人たちのまずしい生活を目のあたりにみて、この村の人たちをすくわなければという使命感をかんじる。ちょうど大洋漁業の小会社であった琉球水産で漢那ケントクさんを紹介され、それが縁で佐良浜にゆくことになったのだがそれと前後してエリザベス女王がソロモンをおとずれた。女王は本田さんにこの附近の漁業についてさまざまな質問をなさった。ソロモンはいずれちかいうちに独立してゆくことになる。はたして漁業はだいじょうぶかといったような話がでたらしい。一方でエリザベス女王のソロモンにたいするなみなみならぬ関心を知り、他方で佐良浜の漁師たちをどうにかしてあげたいという気持ちがはたらく。そこで本田さんはこれこそが自分に課せられたライフ・ワ-クだと感じるようになった。そこからソロモン大洋と佐良浜の漁師たちとのあいだの関係がうまれたのである。
 もっとも佐良浜の漁師に目をつけたのはソロモン大洋がはじめてなのではない。海外漁業がまず漁師を募集しケビアンやラバウルで操業をはじめていた。だから、本田さんが佐良浜をおとずれたのは二番手、あるいは三番手ということになるだろう。
 だが、いずれにせよ、こんなふうにして佐良浜の漁師たちはここにくるようになった。じっさいこの漁師たちはよくはたらく。負けたくないという一心がはやる。たとえ兄弟といえども自分の船がどこでどれだけの漁獲をあげたかはかたく口をつぐんで語ろうとしない。その競争心こそが佐良浜精神というものだ。
 さいしょにここに基地をつくるきっかけをつくってくれたコックレーさんはかなりの金持ちでいまはマルタ島にいる。だが本田さんは、毎年クリスマス・カードを送り、その年の漁獲高をコックレーさんに報告することをわすれない。
 本田さんは、佐良浜の漁師たちにおごりたかぶってはいけないということを、なんべんもくりかえして語りつづける。佐良浜の漁師はたしかに優秀だが、だからといって現地人をバカにしてはいけないのである。いずれは沖縄の漁師の数はすこしずつへって、ひょっとするとゼロになるかもしれない。それがソロモンのほんとうの独立ということだ。そして漁師たちもたんなる金もうけではなく、ソロモンの独立をたすけるという自覚をもってほしいとおもう。水産高校をでた若い漁師たちにはそのことがだんだんわかりはじめている。しかし、年輩の漁師たちはもっぱらカツオ釣りの腕をきそい、収入だけを目的とする。だからおなじ佐良浜の漁師といっても、若い世代と古い世代とのあいだにはかんがえかたのうえでかなりのちがいがでてくるが、やはり年功序列がものをいうから若い漁師たちはだんだん沈黙をまもるようになる。このへんのところの調整もむずかしい。
 ただこの会社は、極洋漁業のようにおもいきりよく外国資本にここでの漁業権を売りわたすことをしていない。唯一の理由は前社長である中部謙吉氏がここに深い関心をしめしたからだ。ソロモン大洋はもはやあとにはひけないのである。本田さんはたぶんその生涯をここでの漁業振興にささげることになるだろう。
 じっさいわたしのみるところでも、佐良浜の漁師は世界でもっとも勤勉な漁民である。一日二四時間、一年三六五日休むことがほとんどない。だれでもが唖然とする。それにたいしてソロモンの人たちはまだ現金経済という新しい経済のありかたに突入したばかりだ。ついこのあいだまでそもそも労働とか賃金とかいう観念さえなかったのである。このふたつの極端な人間たちがぶつかりあっているのがソロモン大洋の現実というものだ。それはいわば水と油のようなもので、なかなかまじりあいにくい。だから本田さんのかかえている問題はきわめて深刻なのである。企業家精神からいえば極洋のようにおもいきりよくあきらめるのが賢明なやりかたであろう。だがこの会社のばあいはちがう。本田さんをはじめここのスタッフは、いっぽうでは佐良浜の漁師を啓蒙しながら他方ではソロモン政府を力づけ、しかもそのうえ魚獲高をあげてこの国をゆたかにしてゆかなければならない。なにしろ国家財政の三分の一がソロモン大洋のカツオ漁に依存しているのだからもはやあとにはひけないのである。

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(ソロモン大洋の創設の詳細:ソロモン諸島と沙良浜漁師の支援)

本田さんは、佐良浜の漁師たちにおごりたかぶってはいけないということを、なんべんもくりかえして語りつづける。佐良浜の漁師はたしかに優秀だが、だからといって現地人をバカにしてはいけないのである。いずれは沖縄の漁師の数はすこしずつへって、ひょっとするとゼロになるかもしれない。それがソロモンのほんとうの独立ということだ。そして漁師たちもたんなる金もうけではなく、ソロモンの独立をたすけるという自覚をもってほしいとおもう。水産高校をでた若い漁師たちにはそのことがだんだんわかりはじめている。しかし、年輩の漁師たちはもっぱらカツオ釣りの腕をきそい、収入だけを目的とする。だからおなじ佐良浜の漁師といっても、若い世代と古い世代とのあいだにはかんがえかたのうえでかなりのちがいがでてくるが、やはり年功序列がものをいうから若い漁師たちはだんだん沈黙をまもるようになる。このへんのところの調整もむずかしい。
 ただこの会社は、極洋漁業のようにおもいきりよく外国資本にここでの漁業権を売りわたすことをしていない。唯一の理由は前社長である中部謙吉氏がここに深い関心をしめしたからだ。ソロモン大洋はもはやあとにはひけないのである。本田さんはたぶんその生涯をここでの漁業振興にささげることになるだろう。
 じっさいわたしのみるところでも、佐良浜の漁師は世界でもっとも勤勉な漁民である。一日二四時間、一年三六五日休むことがほとんどない。だれでもが唖然とする。それにたいしてソロモンの人たちはまだ現金経済という新しい経済のありかたに突入したばかりだ。ついこのあいだまでそもそも労働とか賃金とかいう観念さえなかったのである。このふたつの極端な人間たちがぶつかりあっているのがソロモン大洋の現実というものだ。それはいわば水と油のようなもので、なかなかまじりあいにくい。だから本田さんのかかえている問題はきわめて深刻なのである。企業家精神からいえば極洋のようにおもいきりよくあきらめるのが賢明なやりかたであろう。だがこの会社のばあいはちがう。本田さんをはじめここのスタッフは、いっぽうでは佐良浜の漁師を啓蒙しながら他方ではソロモン政府を力づけ、しかもそのうえ魚獲高をあげてこの国をゆたかにしてゆかなければならない。なにしろ国家財政の三分の一がソロモン大洋のカツオ漁に依存しているのだからもはやあとにはひけないのである。

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現在ソロモン大洋のツラギ基地には現地人が三百人ちかくはたらいている。缶詰関係が一二〇人、冷凍に六五人、そして乗組の方は一隻あたり十五人、十一隻あるから二百人ちかい。かれらの出身は半数以上がマライタ島であり、そのほかガダルカナル、サンタ・イサベル、グォケアなどからきている。ツラギが基地としてえらばれたのは港として水深がふかく、五〇〇〇トン級の船まで横づけできることやエサ場がおおいこと、またホニアラをちかくにひかえて補給のうえで便利なことなどである。

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