ビッグマン制・階梯制・首長制

1993年に出版された「オセアニア」シリーズ3巻の「伝統に生きる」

吉岡政徳先生の「ビッグマン制・階梯制・首長制」が入っている。日本のバヌアツ研究者は少ない。数える程度であろう。そして私もその一人に入った。博論はバヌアツをケーススタディにしている。ただし民族学ではなく情報通信政策と開発学の視点からだが・・

 

この論文の中でも紹介されているバヌアツ、ラガ島(ペンタコスト)北部の母系社会は、私の知人の村であり、その母系社会の女性チーフが友人である。ローズマリーさんで、知人と再婚した。2019年のバヌアツ滞在では彼女のポートヴィラにある新しいホテルに泊まらせていただいた。吉岡先生はキャンベラの会議でローズマリーのお父さんに、英語教育よりも現地語教育をと提案したか、発表されたかで、それまで1980年に独立を果たしたバヌアツは英語教育と思っていた、ローズマリーのお父さんの考えを変えたそうである。

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バヌアツは100以上の言語があり、100近い島があるが、離島の固有文化が守られており、パプアニューギニア同様、多様性を尊重した国家形成を目指している。その背景には吉岡先生のアドバイスの影響も多少あるのかもしれない。

さて、吉岡氏の論文だが、メラネシア特有のビッグマン、そしてそれに類似する階梯制・首長制が、マーシャル・サーリンズの理論を中心に紹介しながら、ビッグマンとグレートマン、バヌアツの位階階梯制、ヤップの例を示した辺境の首長と辺境のビッグマン、が議論されている。

メラネシアを象徴するのがビッグマンだが、「利己的な狡猾さと経済的打算」の能力があり世襲制ではない。が、実際にはさまざまな形式があり、ビッグマン制・階梯制・首長制の違いが明確なわけでもない。

吉岡は最後にこれらのリーダーシップのあり方と王国の違いの比較研究が課題であると結ぶ。この王国こそがトンガ王国であり、ハワイ王国である。そしてその王朝のタブー、マナといったパワーを正当化するのが神話なのだろうが、これは後藤明氏の本があったのでこれを紹介したい。

余計なことだが「利己的な狡猾さと経済的打算」というメラネシアのリーダーシップのあり方、血讐制度とか、ヤクザ社会に似ているような気がした。といっても私がヤクザ社会をしっかり理解しているわけではない。